日本の子どもの貧困〜保護者の責任ではなく社会の責任〜
こんばんわ★
私が大学生の時、結構衝撃的だったのが日本の子どもの貧困を書いた本でした。
日本の子どもたちに“貧困”というイメージが当時はなかったんですね。
でもその時にはすでに「子どもの貧困白書」という本が出ていて、パラパラめくり読んだと思います。
- 作者: 湯澤直美,中西新太郎,浅井春夫,平湯真人,阿部彩,松本伊智朗,岩川直樹,水島宏明,小西祐馬,山野良一
- 出版社/メーカー: 明石書店
- 発売日: 2009/08/26
- メディア: 単行本
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◆日本の子どもの貧困の現状
現在の状況をニュースなどから拾うと、
子供の相対的貧困率は上昇傾向。
大人1人で子供を養育している家庭の相対的貧困率が高い。
就学援 助を受けている小学生・中学生の割合も上昇続く。
子供の相対的貧困率は1990年代半ば頃からおおむね上昇傾向にあり,平成24(2012)年には 16.3%となっている。
子供がいる現役世帯の相対的貧困率は15.1%であり,そのうち,大人が1人の 世帯の相対的貧困率が54.6%と,大人が2人以上いる世帯に比べて非常に高い水準となっている。
平成27年度版 子供・若者白書より
また、世界的に見た時には少しデータは古いが、
2009年にユニセフ・イノチェンティ研究所の発表によると、日本の貧困率は14.9%で、調査した35カ国の中で9番目の高さとなりました(厚生省のデータとは算出方法が異なる)。
しかし、これを1人あたりのGDPが高い順に先進20カ国で見てみると、日本は、アメリカ、スペイン、イタリアに次いで4番目に高かったのです。
つまり、「先進国でワースト4の子供の貧困率」。
世界の子どもの貧困率の平均は13%なので、それよりも高い。
OECDがまとめたレポートでも、日本のひとり親世帯の相対的貧困率はOECDに加盟する33カ国のうち、アメリカ、スペイン、イタリアをおさえ、最も高い数値となっています。
◆子どもの貧困を放置した場合の経済的損失はこんなに高額になる!
12月4日、日本財団による研究にて、子どもの貧困対策を放置した場合の経済的損失についてのニュースが出ました。
日本財団と三菱UFJリサーチ&コンサルティングでは、深刻化する子どもの貧困を経済的視点から捉え、有効施策を立案するための基礎データ提供を目的として、2015年7月から11月まで研究を実施。
研究では、子ども時代の経済格差が教育格差を生み、将来の所得格差につながるという推定のもと、現状を放置した場合の「現状シナリオ」と、教育格差を改善する対策を行った場合の「改善シナリオ」を比較した。改善シナリオでは、おもに未就学児への教育支援を内容とする対策を行うことで、進学率・中退率が変化し、連動して各年齢時点の就業構造が変化することを想定した。
推計の結果、現在15歳の貧困世帯(生活保護世帯、児童養護施設、ひとり親家庭)の子ども約18万人が、64歳までに得る所得の合計は、現状シナリオでは約22.6兆円、改善シナリオで約25.5兆円。所得の差は、税・社会保障費用の個人負担額の差にも関係している。社会保険料と税の合計負担から社会保障給付を差し引いた「純負担額」は、現状シナリオで約5.7兆円だったのに対し、改善シナリオでは約6.8兆円となった。
よって、税・社会保障の純負担額が1.1兆円減少する(つまり政府の財政負担が増える)ということです。
アンダーラインを引いた現状シナリオ、改善シナリオとは?
1. 現状シナリオ:子どもの貧困対策を行わず、教育・所得格差が継続する場合=具体的には貧困世帯の子どもの進学率、中退率が現状のままのケース
2. 改善シナリオ:子どもの貧困対策を行い、教育・所得格差が改善された場合=主に未就学児への教育支援などの対策を行うことで、高校の進学率および高校中退率が非貧困世帯並みになり、かつ、貧困世帯の子どもの22%(海外研究事例)が大学などへ進学することになったケース
改善シナリオの詳細がわからないにしても、子どもの貧困を放置すれば経済的損失がでるということはもう何年も前から他国で言われてきたこと。
貧困家庭の場合、「いつ食べられなくなってもおかしくない」という不安感、緊張感が高い状態に身を置くことになる。
そして貧困であるということだけでも(その他の問題があればさらに)自己肯定感は低くなる傾向がある。
他の家庭と比べた時に「普通の家庭が良かった」「どうせお金はないし、高校に行っても・・・大学なんて行けないし・・・」と将来に対し悲観的になり、考えることをやめてしまう子どもたちは多いのではないかと思う。
考えることをやめるのはその不安感や恐怖感に向き合うのが怖いからであり、決してみんなが「怠けているわけではない」と私は思う。
しかし、大人から見ると「勉強しない結果だ」「向き合えないのは心が弱いから」などの子どものやる気の有無を理由にしてしまいがちではないだろうか?
日本は今でも家制度の根深さがあり、学歴社会の中で貧困層の家族は「自己責任」としてみられ、貧困なのは「親がちゃんと勉強をしていなかったからだ」「子どもが悪いことばかりするからだ」「仕方がない」と理由を“家庭の問題”に押し付けてきたように思う。
そこで「じゃあ生活保護を受けたらいいじゃないか」という声もあるだろう。
最低限度の生活を保障する生活保護の制度。
もちろん申請をし、受給が認められる場合は利用可能だ。
ただ、世間の生活保護受給家庭に対する風当たりは強い。
日本というのは特に世間の目を気にする社会であり、人種だろう。
その中で生活保護を受けることで烙印(スティグマ)を押されてしまうと思う人も多い。
子どもらの中でも生活保護を受けると「いじめられるのではないか」と思う子もいる。
世間から生活保護の制度に対し「税金の無駄遣い」「甘えているだけ」「自分たちの責任では?」などの非難が飛ぶ中、それを乗り越えて生活保護を受給することのハードルは高い。
自立に向けたセーフティーネットなのに、甘えている人たちのセーフティーネットのように見られるのだ。
しかし、本当に生活保護を受けているひとたちは甘えているのか?
不正受給もあるため、そのような見方を全否定するつもりはないが、
必死に「生活保護から抜けたい」と考え、決して甘えているわけではない人たちも多くいる。
しかも多くの保護者は様々な自己責任と関係ない課題を抱えていることもしばしばだ。
子どもの頃に虐待を受けていた人⇒精神疾患を抱えることもしばしばある。
貧困のため教育を保障してもらえなかった人⇒学歴社会からはじかれ、就労困難に陥る。
非行などの問題を抱えてていた人(多くは児童虐待の被害者)⇒前科があり、より就労が困難な場合もある。
知的障がいや発達障がい、精神障がいを抱えている人
ひとり親家庭⇒DV被害者や若年出産、未婚で子持ちになる人(父親は養育費など責任をとらない場合も多い)たちもいる。
これらの問題への対策がなされてきたのはほんの少し前で、現在の親の世代はその支援を受けることが難しかった人たちも多い。
ゆえに、子どもの貧困は「保護者の責任」ではなく「社会の責任」として捉えるべきではないだろうか?
子どもたちが健やかに生まれ、育成できるよう努めることは社会の責任であることを表している。
日本は教育や児童福祉に対する国家予算がOECD内で見て、とても低くて有名である。(とても残念)
急に変えることは難しいだろうが、子どもの貧困をなくすためにはこれらの分野へ予算の拡大、それに伴い支援・制度の拡充を図る必要がある。
結果的に出てくる経済的な損失を減らしていくことが国家予算の赤字を減らすことにつながる。
それが、子どもたちの教育保障を高め、学力の向上につながり、
失業率の低下や自殺者の減少、児童虐待や不登校、少年犯罪を減らすこと(少年犯罪は現在減少傾向だが・・・)などにつながり、
国民の幸福感につながり、
もしかしたら出生率の向上につながり・・・
とそんなにうまいこといくのかはわからないが、つながるのではないかと私は考えている。
もしかしたら書いた文章には根拠が乏しいものもあるかもしれない。
今の考え、知識の中で書いているため、そこはご理解いただきたい。
間違っている部分や意見があれば教えてほしいです。
しかし、根拠を持って説明できるようにならないといけないなーとこのブログを始めて思った。
だから書きたいことはなんとなくあるのに、なんだかまとまらず、書き上げることができない!
いかに自分の“わかっているつもり”が多かったことに気づかされた。
そのため下書きに4つほど記事が保存されたままになっている。
少しずつ書くことができたらいいな。
拙い文章ですが、誰かが「そうなのかもしれない」と考えるきっかけになってもらえたら嬉しいです*
今日はこの辺で♪
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