「赤ちゃんにきびしい国で、赤ちゃんが増えるはずがない」を読んで
先週購入し昨日読み終えた本がコレ↓
【楽天ブックスならいつでも送料無料】赤ちゃんにきびしい国で、赤ちゃんが増えるはずがない。 ... |
「子どもは未来」
これは私が日々思っていること、大切にしたいこと。
そんなことを思っている中でこのタイトルは「そうそう!そうなんですよ!」と
とても嬉しくなった。
この本にはベビーカーに子どもをのせた母親が通勤時間に乗ることについて世間から悲しい声が聞こえてくると書かれている部分がある。
あなたはどう思いますか?
「なんでこんな時間に乗るのよ」
「邪魔だからやめてほしいな」
そんな風に思いますか?
「あーこんな時間だから大変だろうなー」
「満員電車で子どもは大丈夫かな?母親は気をつかってるかもしれないな」
どうでしょう?
最初の気持ちを抱くとしたらオトナの余裕のなさがにじみ出てますね。
後者の方が人間らしいのではないかなーと思います。だって人間の仲間は母親も子どもも変わらないのだから。
でもそう思ってしまう気持ちもわからなくない。
毎日通勤の満員電車は乗っているだけでイライラする。前日の帰りが遅いのに、「また出勤か」とため息をつきながら頑張っている人もいる。
人間らしい生活ができていないと思う。
このような状態が社会的に問題であるという認識があまりにもなさすぎる。
【私の中の重要トピック】
■あまり知られていない大切な保育のカタチ
私は保育士と社会福祉士を持っています。でも保育園で働いたことはありません。
実習、ボランティアで保育園に行かせてもらいました。
学生の頃からこんなことを思っていました。
「なんであんなに大変なのに、給料安いの?」
それが正直保育園で働きたいと思えないひとつの理由です。
保育士さんはみんなとにかく忙しい。やることが多すぎる、抱えていること(子どものことはもちろん、保護者対応も!)が大変であることで疲労困憊状態ではないかな?と思います。
保育士さんはきっともっと余裕を持って子どもたちと接したいと思っているでしょう。
余裕のない時の対応で「あ、ごめんね…」と子どもに対して心の中で謝ることもあるのではないでしょうか?
最近、保育士の待遇改善を求めた というのがニュースになってしました。
是非もっともっと現場の声をあげるべきです!
応援しています!
そんな保育園も空きがないのが「当たり前」になりました。
それでも子どもを預けて働きたい母親もいます。
その中で生まれたのが自主保育や共同保育。私は1970年代からこのようなものがあるのに驚きました。恥ずかしい話そんな保育のカタチがあるなんで初めて知ったからです。
でも考えてみると自然なことだろうな。
必要なものを用意してもらえないなら自分たちで作る。
今はコミュニティ力が弱くなったと言われます。
核家族も増えているのが現状で、日本のムラ意識も薄くなっていると思います。
それでも、自主保育や共同保育が今も昔と同じように続いていること、そして子どもを預ける+親も保育に参加をするということがとても素敵なことだと思いました。
しかも「あーそれ!いい!」と思ったのが、
ある自主保育のグループで「大人があれこれ言い過ぎない」ということを実施していること。
これほどまでに世間で危険なことは避けようとする、他人に迷惑のかかることはやめようとする傾向が強まる中で、いかに子どもたちが遊ぶ場所を失い、危険とはどういうものが学ぶ機会が減っているか。
それなのに、「もっと自然の中で遊んだほうがいい」「今の子はゲームばっかりしている」と世間は言う。
そうさせたのは大人です。子どもの責任ではない。
そんなことを学生からずっと思っています。
でも自主保育・野毛風の子では大人は見守ることを徹底する。
言いかけてもそっと見守る。
すると子どもたちは危ないと思ったらきちんと自分でやめる。
(もちろん、ヤバいくらいやんちゃで危険な目にばかりあおうとする子もいると思いますが…そのときは大人が止めてあげます。)
私はたくさん話(説教)をするのも、たくさん注意してしまうのも大人側の不安が高いからだと思っています。大人がどっしり構えていると子どもたちものびのび遊べるんでしょうね。
大切なことにあたらめて気づかせてくれました。
■日本人の普通は、実は昭和の普通に過ぎない。
いまの社会経済制度は四十年代に戦争を乗り切るために整えられたものがそのまま稼働している。・・・日本の制度は戦後に一新されたと思いがちだがそうではなく、むしろ日本人の精神性まで影響するような制度は戦時につくられたものだった。
なるほど。わたしのもやもやしていた何かに少し答えをいただいた気がした。
男は仕事、女は家事という役割分担
会社の終身雇用制度⇒会社に従うことで人生は保障される
とても「固定的」な考えであり、日本人の精神そのものであると思う。
もう男女の役割分担は固定でなくていい。
同じ会社にずっといなくてもいい。
そんな風が今吹いているのに、精神はまだ時代遅れですよね。
これは普段から思っていることですが、
「自由」になると不安が高まります。
でも「決められたもの」があれば、それに従うと「大丈夫」と安心できるわけですから、なかなかその軸からはずれることを選ばないですよね?
だから「固定的」にまだまだ固執する人が多い。
だってそれが「正しい」と思っている、思い込んでいるから。
なかなか簡単に精神を変えることは難しいですが、一人一人が発信したり、行動することで少しずつ変えていくことはできるのではないでしょうか?
■会社が変わらなければ、少子化は解決しない。
フィンランドでは午前8時から午後4時までが勤務時間とのこと。
日本は9時開始が多く、17時半定時が多いと思われる。
数字だけみても全然印象が違う。
午後4時に会社を出たら、家で何しよう?!とわくわくしそう!(独身は特に)
日本の勤務状況は異常だ。
定時に帰ろうとすると「早いね」と言われ、そんな気なくても嫌みに聞こえる。
時間外は仕事を頑張っている証になっている。
相当の時間外の手当をもらうことは当然ではあるが、「お金」のために時間外をしている人も少なくないのではないか?
仕事の出来る人はメリハリがついており、
早く帰るときは帰る、休む時は休む、やることはとことんやるということをそつなくできる。だから効率よく仕事をする必要があるので、必然的に仕事のスピードが早くなる。(私はこれを目指す!)
時間外も働いている大人が帰宅後子どもと関わろうとしてもなかなか難しい。
体力も心の余裕がない。
子どもがぐずるとイライラもするだろう。
子どもにはあたれないから妻にあたる。妻は「あんたは何もしないのに」と反発する。
両者「理由」はあるからどっちが正しい、間違っているということではなく、
「どっちも気持ちはわかる」だ。
でもこの状態は子どもにとっていいわけがない。夫婦の関係はダイレクトに子どもへ影響する。
私はワークシェアリングを推奨するべきだと考える。(これについてここで詳しく書かない)
一人一人の勤務時間を6時間にして雇用を増やす。
でも生活できるだけの給料はしっかりを渡す。
初期は費用がかかるが、国全体的にみると大人も子どもも健康的になり、かかる費用も年数を重ねると抑えられる。
時間がないから恋人を見つける気にならない。
こんな仕事を続けて子どもを産んで育てることはできない。
まず保育園があるかどうか不安だし…
子どもは3人ほしいが、お金もそんなにないから子どもは1・2人しか無理かも。
こんな声は何年も前からあがっているはずだ。
豊かに子どもを育てる環境をつくるには会社にいる時間を減らすことから始めてもいいのではないか?
■子どもを中心としたコミュニティ作り
大人の都合ではなく、子育てを中心としたコミュニティ、社会をつくること
これが今後日本を明るくするかどうかを左右すると思う。
今の状態が続けば、優秀な人は日本に見切りをつけて海外に行くかもしれない。
それは日本にとって痛い。
人という財産を大切にできる国にしたい。
子育てが中心と考えれば、
通勤の満員電車にベビーカーに子どもを乗せた母親に対する見方は確実にひとつになる。
「いつもおつかれさま、何か困ったことがあればすぐに教えてね。」
「お、泣いてる。大変大変。私も手伝ってあげよう」
そんな温かい国にしたいものだ。
その他いろいろ考えさせてくれた本だった。
とても読み応えがある。子育て中の人たちにもおすすめしたいし、福祉を勉強する人にも是非読んでほしい。
今日はここまで!
今から家族で京都の温泉へ*
かに料理を堪能してきまーす!